2010年3月19日金曜日

Le jeu de la mort

先日フランスで放送されたテレビ番組が話題を呼んでいます。
「Le Jeu de la Mort(死のゲーム)」と題されたドキュメンタリー番組で、観衆に囲まれたテレビ放送用録画という設定で、ある参加者が問題を読み上げ、もう一人の参加者が間違った解答をすると、罰として電気ショックを与えるというものです。これは昔、アメリカのエール大学で実際に行われた実験を再現したもので、個人的な繋がりのない関係において人間が人間に虐待を与えてしまう心理、特に、良心の呵責が外的要因にどう相殺されていくか大変興味深いものでした。参加したものの大半が、観衆や司会者に促され、またテレビの出演、ゲームの果ての両参加者への賞金などを口実に、次第に高くなる電圧を与え続けていくという自己の行動への客観的考察を忘れ、麻痺していく様は、非常に衝撃的であり、歴史における過ちや、さらには自分のことも省みらざるをえないものでした。また、感動を与えたことに、参加者のうち数名は、果断にも途中でゲームを中断したことです。日常のシーンであれば、これはおそらく「空気がよめない」と言われかねない行動でしょう。が、ある参加者は、「しなければいけない(Je drois)かもしれないけれど、したくない(Je veux pa)」と言い切ったのです。私だったらこのとき、あのとき、そしてこれから、どうするだろうか。そのことが心から離れない日々です。

ところでこの写真は、ある日のスクープです。棚の上にあるおもちゃを取るために、自分でリビングから椅子を運び、積み上げ、よじ登るセシルの姿です。彼女の場合は、すべての行動が「したい、ほしい(Je veux)」だけなのです。普段なら目くじらをたてて怒るところですが、こんな性格も大事にしてあげなければいけないのでしょうか...

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